置いてけぼり日記

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昨日知った話。
その日は、公害測定の結果について、専門家より数値の読み方について教えてもらっていた。
空気中浮遊濃度測定といって、掃除機のような装置を用いてある一定量の空気をフィルターに通し、そこに引っかかる塵を分析することでその場所における汚染度を調べる手法があるんだけど、その分析結果が「0.5個/リットル」と書かれていた。
これは、1リットルの空気中に0.5個の汚染物質があるというもの。もちろん0.5個という数は物理的には存在しない。
そして、国が定める汚染基準は10個/リットル──つまり、国が定める汚染には至っていないけど、統計的には2リットル中1個くらいはあるかもしれませんねというものだ。
ぶっちゃけ、これは無いといっていい。
しかしながら、その場所にいる人間からするといくら0.5個であっても、あるように見受けられる場所にいたいと思うだろうか。「結局、これはあるのか? or 無いのか?」ということを専門家に聞いてみたわけだ。
それで分かったこと。
0.5という数字だが、これは分析する上での最小精度だということだ。
つまり、それより小さな数字がもし存在していたとしても、分析する機械を用いる限りは判定することは不可能であるということだ。実際、分析機では汚染物質の存在は確認されておらず、観察結果からすれば0だということだ。
しかし、他の機械を用いたら、もう1度空気を測定したら見つかる可能性を否定することはできない。もし否定して、それで見つかってしまった場合、それが危険濃度以下だとしても、あるという事実に対して責任を追及される恐れがあるから。
だから、分析機が判定できないレベルを考慮して、その限界制度である0.5を分析結果として提示しているのだという。
汚染というのはそれだけ人に怖いという意識を抱かせ、場合によっちゃ醜い争いにも発展するものだ──というのを考慮した上で、しなくていい責任を負わないようにする工夫をしているようである。

ゼロでは無いゼロ。ありえないはありえない。
見方を変えれば、つまりはそういう考え方に通じる。
技術っていうものは、追求すればするほど哲学へと近付いていくものなのかもしれない。

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