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◆ 置いてけぼり日記 ◆
■ 2006/2/22 : エンターテイメントの教訓
ここ3日間で、合計数時間切ってる睡眠時間。
食べるの諦めるってのはよくある話なんだけど、寝るのを諦めるのって、人間としてどうなんだろう?(しかもリーマンの真似事しながら)
そろそろ幻覚が見えてくるかな。
もし出てきたら、幻覚に仕事を手伝ってもらおうっと。
後味の悪い童話
http://blog.livedoor.jp/r3vip/archives/50611602.html
やべえ、8割くらいは分かる。
「本当は怖いグリム童話」をほぼ全巻読破したせいだろうけど(笑)
今でも頭の中に残っている、現代を舞台にした童話のあらすじをさくっと紹介。
脚色された部分もあるかもしれないが、ずいぶんと昔の記憶だからどーしようもない。
多分、今では児童図書に指定されてもいないだろう。
教訓ものとしては、結構良い話だと思うんだけどさ……。
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英子ちゃん(←A子。名前忘れたので仮名)の友だち美子ちゃん(←B子。同じく仮名)は、線路脇にあるお地蔵さんが大好きだった。
学校の帰りには必ずお地蔵さんに会いに行くのが美子ちゃんの習慣で、一緒に帰っている英子ちゃんはいつも「電車が来ると危ないってお母さん言ってた」と注意するのだけど美子ちゃんは聞かなかった。
実際、お地蔵さんから線路まではそれほど距離が離れておらず、ほとんどすれすれのところを電車がすれ違っていくという危険な場所だった。
ある日、英子ちゃんは学校に残ることになり、美子ちゃんは先に家に帰ることになる。
もちろん、美子ちゃんはあのお地蔵さんに会いに行くに違いない。
英子ちゃんが帰ったのは夕方で、心配していた母親は英子ちゃんの顔をみてほっと息をついていた。
──というのも、まだ美子ちゃんが帰っていないというのだ。
いつも一緒に帰っている英子ちゃんも帰って来ないから、もしかしたらふたりしてどこかに遊びに行ったのではないかと思っていたそうだが、英子ちゃんはというと学校に残っていただけ。
結局、その日美子ちゃんは帰ってこなかった。
翌日、美子ちゃんの行方が判明する。学校で英子ちゃんと別れた後、いつものようにお地蔵さんに会いに行っていたのだ。
しかも不運なことに、美子ちゃんはすれ違う列車に巻き込まれて死んでしまい、その身体はばらばらになってしまっていた。
そして、大人たちによって美子ちゃんの身体を探したそうだが、どうしても一箇所だけ身体が見つからなかった。右手だけが無かった。
お地蔵さんのある線路には柵がはられ、子どもが入っていけないようになったが、どれだけ日が経っても右手は見つからず捜索は中止となった。
日が経って、事故のことも忘れられた頃、英子ちゃんはいつものように下校途中の線路の近くを歩いていた。ふと、あのお地蔵さんのことが気になって、大人に見つからないように柵を越えて会いに行った。
お地蔵さんの隣には、死んだはずの美子ちゃんが座っていた。
英子ちゃんは一緒に帰ろうと声をかけるが、美子ちゃんは大好きなお地蔵さんのそばにいると言って聞かなかった。それにもう自分は死んじゃったから、帰る所は無いと言った。
泣いて説得しても美子ちゃんは動いてくれなかった。
その後、泣きつかれて眠ってしまった英子ちゃんは夕方になって目を覚ました。
美子ちゃんはどこにもいなくなっており、そこにはお地蔵さんがほほえみを浮かべているだけだった。
英子ちゃんは、お地蔵さんと一緒にいると聞かなかった美子ちゃんの変わり果てた姿を見た。
お地蔵さんの右手には、美子ちゃんの千切れた右手が重なっていた。
英子ちゃんは大人に右手のことを話さなかったため、美子ちゃんの右手は今もお地蔵さんのそばにある。
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教訓で、オカルト。エンターテイメントですな。
しかもちょっと怖いオチまで付いてる。
どうやってこの話を読んだのかまったく思い出せないんだけど、頭に中にはトラウマのようにしっかり残っているもののひとつだ。
いやはや、昔の童話作家のクオリティには驚かされますな。
ゲームにしかりテレビ番組にしかり、現代は、臭いものにふたをするというのが風潮が定番になりつつある。
しかしこういう話を通じて得るものは、ただ教訓として話すたとえ話よりも鮮烈で、今の自分のようにいつまでも心のどこかに残っているものである。
「臭いものにふたをする」現状においても、結局のところは、「割れ鍋にふた」。
勝てば官軍を絵に書いたような弱いものいじめとか、捻じ曲げられた事実がごくふつうにメディアに流れたりとか、そういうものはまったく規制が無いのだ。
「直接的な表現には規制がある。
ただし、事実ないし事実モドキには規制が無い」
──でも、やってることは同じです。このばかちんちん。
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